おのおののひとりごと

徒然に、日々の小さな備忘録

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映画『12人の優しい日本人』:好きな作品の話

言葉にできない面白さが、そこにはあった

はじめての出会い

映画『12人の優しい日本人』を初めて観たのは、テレビで放送されたときのことだった。
当時の私は、東京サンシャインボーイズも三谷幸喜も知らず、オマージュ元となった『十二人の怒れる男』の存在すら知らなかった。
演劇にも、陪審制にも縁がない、ただの青二才——いや、単に学がないだけの私でも、そうした背景を何も知らずに楽しめた作品だった。気づけば、のめり込んでいた。

たった一つの部屋での演技。
たった一度きりの視聴。
それでも、この作品は深く心に刻まれた。

なぜ今、語るのか

その後も何度か視聴した。
なぜ今になってこの話をするのかというと——
アマゾンプライムで『フルメタル・パニック』のディレクターズカット版を見終えた直後、なぜか次におすすめされたのが『12人の優しい日本人』だったのだ。
ジャンルも時代もまったく異なるのに、なぜこのタイミングで?と首をかしげた。
しかし、タイトルを目にした瞬間、あの最初に観たときの感動がふいに蘇った。
誰かに紹介したくなった。
最初はフルメタのディレクターズカット版の話をしようと構えていたのに。

作品の背景

映画は1991年に公開された。
舞台となった陪審制に近い裁判員制度が実際に施行されたのは2009年であり、それより19年も前に制作された作品だというのは驚きである。
アメリカでは昔から陪審制が導入されているので、それを日本に当てはめたのだろう。
ちなみに、この映画版の原型となった舞台劇は、1990年に上演された。

“まとまらなさ”の魅力

殺人事件の裁判に集められた12人の陪審員が、有罪と無罪の間で議論を繰り返す。
判決には、12人の陪審員全員の意見の一致が必要となる。
個性的だが、どこにでもいそうな普通の人たち。
意見を交わして変わっていく者もいれば、流される者、頑なに変わらない者もいる。
こだわりを持つ者、持たない者の混在。
理由もさまざまだ。

目が離せなくなるほど引き込まれていく。
その“まとまらなさ”こそが、この作品の引力なのかもしれない。

言葉にできない面白さ

あぁ、もうこれ以上、膨らませることはできない。
言葉にできない面白さが、そこにはあったのだ。

映画版以外に、舞台版も映像化された作品があるようだ。
探してみよう。